いいのか? 政府に指図される「人生100年時代」とかいう罰ゲーム人生

働けど働けど 楽にならない 日本に暮らし

金持ちは楽に 貧乏人は永遠に働かざるをえない社会とは何か?


文春オンライン / 2019年4月18日 6時0分
「政府に指図される「人生100年時代」とかいう罰ゲーム人生」


 一昨年、安倍政権から「人生100年時代」構想とかいうテーマが突然掲げられ、あまりのことに私は呆然としておりました。戦前ならいざしらず、なんで政府に国民が生き方の規範を示されねばならんのか。いろいろしんどい。どこから考えを紡いでいけば良いのでしょう。

人生100年時代構想(首相官邸ホームページ)
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/jinsei100.html

「人生100年時代」に向けて(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000207430.html
年金の仕組みはもう成り立たない

 その出だしからして「ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計」とされ、これは『ライフ・シフト』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著)という売れた本の一節なわけですけど、つまりはお前らがよろしければ80歳ぐらいまで働けって話なんですよね。そ、そうっすね。で、「働いてるなら年金とか別に要らねえんだろ?」という流れになる。むしろ、ジジイでも所得があるなら税金払えよってことで、さすがは我らがアベちゃん、国民のケツへのムチの入れ方をよく分かっていらっしゃる。

 しかも、本当の主眼は年寄りが増えることによる社会保障費の激増は、結構ヤバいレベルで問題を各所に起こすので、年寄りだから敬ってリタイアしたら年金をくれてやる、という仕組みはもう成り立たないんですよ、という政策転換の意図が見えておるわけです。

 だけど、社会保障政策として「あ、カネ足んねえので年金ごっそり削りますわ(笑)」とかやると老人がムカついて選挙に落ちる政治家が出かねないので、そうとは言わずに労働政策として「いや、働き方改革でござい」と80歳ぐらいまで働けという見せ方をするのはうまいなあと感心します。ついでに、所得のある高齢者は厚生年金を70歳まで払えや、という厚生労働省様のご検討内容も報じられました。経済的に余裕があるなら年金もらうんじゃなくて納付しろやジジイという政府の熱い思いを真正面から受け取りましたぜ。やはり世の中こうでなければなりません。

「年金で暮らせるかどうか分からないので、将来の備えに」と不動産や証券投資を頑張って不動産収入や配当が入るようになると「なんだ、お前ら楽に暮らしてるじゃねえか。じゃあ年金は無しだ。むしろ納付しろ。分かったな」と言われてしまうという、ある意味で村を焼かれるより辛い世紀末がやってきてしまうのでしょうか。凄すぎる。

 さすがに誤魔化し方にも年季が入ってるなあと。100年生きるんだから、みんないつまでも現役で働いてくれよな、と新しいスローガンを打ち出しておいて、働いているんだから所得があるし現役だし年金要らないでしょハッハッハって奴です。
長生きしているからずーっと健康、という前提

 分かっちゃいるけど、ある種の国家的詐欺みたいなもんじゃないですか。そういう議論を平然とやってのける、我らが安倍晋三さんという宰相の、凄さとヤバさはここにあると思います。

 確かに『ライフ・シフト』が説くように、人生が長くなっているんだから働く期間も伸びるし、働き方も多様でいいんじゃない? と言われるとまあその通りではあるんです。でも政策を決めている人たちもさあ、介護の現場とか高齢者の実情とかあんまり分かってないまま、長生きしているからずーっと健康、という前提で話を決めてないかい? という話を介護の専門サイトに寄せたところ、当事者である高齢者や、介護に携わっている人たちからたくさんの反響を頂戴しました。当たり前ですよね、歳を取って身体が動かなくなっているからリタイアして介護を受けたり施設に入ったりしている人たちなんですから。

経済成長する前提で対策なんかしてるから「2025年問題」はもう手遅れに…。右肩下がりの経済で、高齢者が増え続ける「人生100時代」の生き方とは!?
https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson30/
高齢者問題の離れすぎた理想と現実

 私も親父お袋義父義母の健康問題に直面していて常々思うんですけど、この世に美しく理想的な高齢者問題というものは存在しません。心穏やかに最期のときを待つ高齢者は、周りに迷惑をかけることなく尊厳を保ち、若者や親族に尊敬されながら最期は子ども家族や孫に囲まれて心安らかに天寿を全うしました、とかものすごく難易度の高い結末だと思うんですよね。

 実際に起きていることは理想とはかけ離れていますし、ご家庭やご本人の生きざまによっても随分状況は異なります。言うことを聞かない高齢者に、最初は優しく、だんだん大声で、まるで幼稚園の悪ガキどもをどうにか教導するかのように何とか統制しようとする施設の介護職員の面々。その必死さを見ると、逆に高齢者問題の出口のなさを肌身で感じることになります。

 あるいは、ジジイはジジイ同士くだらないことで喧嘩をし、お前はジジイすぎて一人でお家に置いておけなくなったから施設に来ているんだよということを棚に上げて「俺はこんなジジイばっかりの場所にいたくない」と言い出すジジイを宥めすかして施設に送り出すと、健康なジジイの派閥ができてボケきった同室のジジイをいじめてテレビを観せなくするなどの嫌がらせを繰り返したりしておるのです。

 いいか。年寄りというのはみんながみんな、枯れて聖人君子になるんじゃないんだよ。むしろ、実態は逆で、大人としての配慮も不要になり、社会常識方面のことを考えなくなった結果、人は歳を重ねて5歳児に、そして幼児へと帰っていく。頑固者が年を取って丸くなるどころか、老け込むほどにどんどん頑迷で怒りっぽい爺さんになっていく。悲しいけどこれが現実なのよね。生きとし生けるものの摂理とはこういうことなのだ、と胸に刻むしか方法は無いのです。
終わることのない、死に向けたマウント合戦

 いいから黙って病院に行けよというと、俺はどこも悪くない、健康そのものなのになぜ病院に行くのかと怒り出す。お前の身体は少しガタついてるからリタイアして家にいるんだよ。でも自分は健康である、医者にはかからないと決めている高齢者はテコでも病院に行きません。

 それなのに、口をちゃんと閉められないので食べ物をこぼす。口の横からちょっとこぼすのではなく、口の正面から吐き出すように汁ものを出してしまうのを、うまくスプーンでフォローして、少しずつ飲み込ませる。しかし、老人の感想は「なにこれマズい」であり「他にうまいものはないのか」であり「俺が食べたいのは山掛けマグロ丼だ、早く持ってこい」と言い出す。もちろん、マグロなど喰おうものならその夜は下痢便待ったなしなわけですよ。そこでまた押し問答からの口論になるのは定番です。

 そして、まだ多少はコミュニケーションの取れる年寄りが集会室でたむろすると、決まって始まるのは病気自慢。俺はガンをやった、転移したけどまだ生きてる、いやいや俺なんて腎臓がひとつない、その程度では生ぬるい、俺は半身不随からリハビリで頑張って喋れるまで回復した。終わることのない、死に向けたマウント合戦。呆然として眺めるわたくし。良いからお前ら穏やかに死ねよと言いたくもなるぐらい、愛らしくもイラつく年寄りどもって素敵じゃないですか。

 口が回るだけならうるさいだけだからまだいいんです。程度の悪いのになると、若い介護職員さんに物理的に噛みついて、彼の腕は歯型なのか入れ歯型なのか不明な形のあざだらけに。また、年頃の若い女性の理学療法士さんを見つけてはしみじみと「あんたブスだねえ」という。おいやめろ。黒髪に染めてくれとヒステリックに叫んで要求した後で染め方が足りないとクレームを言うおばあさん。そのおばあさんを巡って複数の爺さんが勃ちもしないのに色恋沙汰の大論争を繰り広げるという。
見知らぬ人に囲まれて生きるということ

 まあ、確かに元気ですよ。90歳なのにスクワットを毎日欠かさずやるおばあさんもいれば、そのような喧噪とは無縁とばかりに窓際で静かに本を読んでいるお爺さんもいる。しかしその爺さんの本をよく見てみると逆さまに本を持っていたりして、絶対お前読んでないだろ。

 そして、どの施設でも、どんな環境でもお爺さんやお婆さんの話を聞いていると出てくる言葉は「孫に会いたい」。これ。次に孫が施設に来る時にはこんな話をするんだ、あんなプレゼントをやるんだと話してる婆さん爺さんは、さっきまで程度の低い幼稚園児みたいな失態を繰り返していたのに急に輝くような笑顔になる。

 昔懐かしいテレホンカードを使う公衆電話で家族と話をしている高齢者は部屋で同居のジジイとつかみ合いの喧嘩をしている姿とはまったく異なる、慎みある家庭人の顔になったりもします。その電話線一本でようやく下界と繋がり、楽しそうに家族と近況を喋る。誰がどう見ても、あんたもう今晩死ぬんじゃないかと思うような高齢者が、職員さんから「ご家族から電話です」と聞くと突然シャキーンとして枯れ枝のような指で受話器を取る姿を見ると、ああこれが人間なんだなと強く思うのです。

 そんな爺さんが、電話口でご家族に「俺、早くここを出て山掛けマグロ丼喰いに行きたいよ」とこぼす。そんなに好きかマグロ丼。でもまあ、こんなところに良い歳してやってきて、学校でも辛いクラスメート固定のような状態で余生を過ごすというのはいくら何でも悲しい。でももう一人では暮らせないと判断され、面倒を見てくれる息子や娘夫婦はなく、家族の情もないまま見知らぬ職員さんやお年寄りたちに囲まれて生きるというのはなかなかに大変なのです。
人が人として駄目になっていく

 職員さんの数が足りず、なかなか手が回らない施設にお邪魔していたときは、職員さんも過酷だったけどそれ以上に入ってる爺さん婆さんが可哀想で、決まった時間にしかオムツは換えてもらえないし、集会室どころかトイレへ自室から行くことすらままならない高齢者ばっかりだったもんだから、もう日に日に人が人として駄目になっていくんです。あれは見ていたら心情はよく分かる。人間として、こういう環境で尊厳を保つためにはボケるしかないんだ。気丈だった人はよりヒステリーに、穏やかだった人は顔から表情が消える。それでも最期を迎えるまでは、生を全うしなければならないのです。

 そして、少し若めの人たちが来る施設では、また様相は違っていました。若いから程度は良いのかなと思ったら、独身でバリバリ働いていた人たちが何かの理由で倒れて後遺症で働けなくなり、生活保護を貰いながら緩慢な社会的死の時間を過ごしている。大多数は独身のまま老人に差し掛かって病気をし、本当の意味で人生が詰んでしまう事例です。

 山本家は週何日も世話を焼きに介護の手伝いに行くのですが、ご一緒する人たちの少なくない割合の方々はおそらくは誰からも愛されることもなく、上手く喋れない病気を抱えて唸るような声を出すだけで想いを伝えることもできない。無念だろうと思うんですよね。誰からも見舞われないから、ベッドサイドのテーブルにただ紙コップが一個ぽつんと置かれていたりする。中には、独身のまま若年性認知症になってしまい、突然無職で無縁になってしまう人もいます。

 久しぶりに訪問者があったなと思ってよく見たら某政党の構成員さんだったりして世も末です。本来なら「帰れ」と言いたいところだけど、職員さんを除けばそういう人たちとしか話すこともない人々にとって、たとえそれが票田であり何らかのビジネスなのだとしても寄り添わざるを得ないんじゃないかと思ったりもします。
介護を見ていて、していて、思うこと

 そういう人たちを、日本語もそこまで満足に話せない外国人の方々が、介護の実習という名目でお手伝いしている姿も普通になってきました。何というか、見ていて辛い。でも言葉も通じぬ異国に来て年寄りの世話を甲斐甲斐しくやっているのを見ると、万一、私が介護される側の人間だったらどう思うでしょう。あるいは、日本がこのまま衰退して、私の子や孫が日本では喰えなくて、どこか別の国に出稼ぎに行って、そこで暮らしてきた高齢者の汚物を拭いて回る日がきたりするのかと思うとこれはこれでさらに辛い気持ちになります。

 そりゃあ、親戚一同高齢者が病気をし、高齢者となって介護が必要だとなれば、まあできることはするわけですよ。よたよた歩いていれば心配もするし、術後の経過が悪くて熱を出したとなればどこか良いところはないかと病院を探したり、車椅子を押したり買い物に付き合ったりもする。私に限らず、同じく介護をしている人たちは、仕事を辞めて貯金を取り崩しながら親の面倒を見ているケースがほとんどで、しかし、それは介護を受ける側も面倒を見てくれる家族がいるだけまだ幸せで、施設にいる結構な割合の高齢者は、面会に来る親族もなく、ただ一人ぼっちで知らない人に囲まれてそのときが来るのを待っている。そりゃあ、喧嘩もしたくなりますよ。他の高齢者にマウントの一つも取りたいでしょう。

 そんな中で『ライフ・シフト』とか言われるわけです。ああ、うん。まあ、80歳でも90歳でも元気で働ける人は良いよね。2007年に生まれた日本人の半分が107歳まで生きるとするなら、残りの半分はどうなるのでしょう。

 また、107歳まで生きるとして、何歳まで元気で、どこからが介護が必要な年齢になると思いますか。長く生きる時代が来て、確かに高齢になっても働けて富や付加価値を生み出し納税して社会に貢献できる人はいるかもしれないけど、でも最後の何年間かはつらい時期を送ることもあるのですよ。あるいは、伴侶に先立たれてたった一人で暮らしていくことも覚悟しなければならない。

『ライフ・シフト』は大事だけれど、それが福音になっていろんな人生、ライフスタイルを選択できる人は一部であって、大多数はやっぱりカネがなくて冴えなくて病気がちで家族にも恵まれないかもしれない老後を送ることになるのです。もちろん、働ける人は自己決定権の保障された民主主義の日本で頑張って生産的なことをやりたいとなれば、それはやればいいと思うんです。でもそれって、30代、40代、50代のうちに「こうでありたい」とあるべき未来を願ったとしてもその通りになるとは限らないわけでね。
子どもたちの人生を罰ゲームにしないために

 でも、私がいま直面しているのは、働くことのできない高齢者たちの姿であり、そういう高齢者が死んでいくのを死ぬときまでお世話している日本人や外国人の若い男女であり、そしてそういう高齢者は家族から切り離されているか、あるいは家族のぬくもりを感じることもなく独身のまま社会から放り投げられて無縁の人として消えていく運命にある。どうしようもないことではあるのだけど、人生100年あると思って生きていける人はそれで良いとして、そうでない人をどうにかしないとこの社会はやっていけないんじゃないのかなあって、介護をしていて思います。

 それは、拙宅山本家で言えば2009年以降に生まれた三兄弟が、概ね半分の確率で歩むであろうこれからの100年を、私たちがどうバトンタッチしていくのか、ちゃんと考えているのか? という問いにすら、まだたいした結論も出せていないんだよなあ、という暗い気持ちになるのです。

 だって、せっかく長くなるであろう子どもたちの人生を罰ゲームにしたくないですし。

(山本 一郎)
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